2011/03/31

論語が好きになる言葉

昨日同様、月刊致知4月号に麗澤大学教授である井出元さんの「古典は人間として大切なことを引き出してくれる」より。

次の言葉にも学生たちは共感します。この言葉を知ったことをきっかけに「論語」が好きになる学生がたくさんいます。

冉求(ぜんきゅう)曰く、
「子の道を喜ばざるには非ず、力足らざればなり」
子曰わく、
「力足らざる者は中道にして廃す。今女は画れり」

(意味)
「先生のおっしゃる道について学ぶのはとても嬉しいです。しかし私には先生の言うとおりにするだけの実力がありません」と孔子の弟子の冉求がいいました。

すると孔子は「力の足りない人は進めるだけ進んでそこでやめればいいんです。しかしあなたはいま、自分で自分に見限りをつけましたよね。そこが大きな問題なのです」と答えました。

よく学生に本を紹介すると、読む前から「とても読めません」と諦めてしまいます。この言葉はそういう態度を叱っているのです。「もし読めなかったら途中でやめたらどうだろうか。しかし、読む前から自分に見限りをつけるとは何事だ」と。

このように話すと、学生たちはよく理解し、この言葉を受け入れていきます。
2011/03/30

古典は人間として大切なことを引き出してくれる

月刊致知4月号に麗澤大学教授である井出元さんの「古典は人間として大切なことを引き出してくれる」が掲載されていました。

古典の授業をする中で私は一つの大きな気づきに至りました。古典を読んでいくと、学生たちのほとんどが「分かっているのに忘れかけていたことに気づかせてくれた」という感想を述べるのです。

彼らは古典を読んでその内容に共感し、本来自分が心の中に持っている大切なものに気づいていく。これが古典を読む大きな意義だと思います。

当初は学生が古典から何を引き出すかという意識で授業を進めていたのですが、最近は古典が学生の中の何を引き出すか、と考えるようになりました。
2011/03/29

寛永寺 根本中堂開堂

東叡山寛永寺は江戸時代、天海僧正によって開山されたお寺で、現在の上野公園は寛永寺の境内でした。増上寺と共に徳川将軍家の菩提寺であり、江戸時代には日本仏教界の頂点にあったお寺です。しかし、江戸幕府の終焉、上野戦争により、境内は大幅に縮小されてしまいました。現在は、川越の喜多院から移築された根本中堂を中心にして、法灯を伝えています。

寛永寺では以前から根本中堂を月に何度か開堂していますが、まだ訪れたことが無かったので、27日に行ってきました(開堂する日は寛永寺のホームページに掲載されています)。

私が到着したのは午後2時頃でしたが、堂内に入るとお寺の方が読経していました。そして、お勤めが終わった後、簡単な法話がありました。今回の地震で寛永寺も灯籠が倒れたそうで、訪れた時もまだ倒れたままでした。

堂内は中央に閉じられた厨子があり、案内図によるとそこに薬師三尊が祀られているそうです。厨子の前にはお前立ちの薬師如来立像、脇には、不動明王像と毘沙門天像が安置されていました。また立派な十二神将像も祀られていました。案内によると十二神将は1702年に造られたそうです。

今回初めて開堂の日に訪れ、堂内に入りましたが、良い雰囲気でした。寛永寺は徳川将軍家の菩提寺でしたが、決して敷居の高いお寺ではなく、桜の季節は江戸の人々が境内で花見を楽しみました。ですので、多くの人に気楽な気持ちで開堂日に寛永寺を訪れて欲しいと思います。


ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。