三月号の大法輪は「仏像の誤解を解く」という特集で、そこに次のような文章が掲載されていました。
仏像は精神を集中し、心を浄めるための「道具」です。丁寧に扱わなければならないのはもちろんですが、仏像にあまりとらわれすぎてもいけません。
お寺の御本尊様のような「崇拝対象の仏像」には、しっかりと手を合わせて下さい。反対に博物館などに並んだ「美術品や資料の仏像」には礼拝する必要はありません。この区別が大事です。
たまに展示ケースの前で合掌している人がいます。この人は仏具店や骨董市で売っている「商品の仏像」にも手を合わせているのではないかと、余計な心配をしてしまいます。とは言うものの、お寺の宝物館の場合は、私も悩むことがあります。その際は、仏像の前に香炉があるかどうかで合掌の判断をしています。
お寺で祀られてる仏像には魂を入れる開眼供養がされており、それらの仏像が博物館などに展示される際には魂抜きが行われるので、確かに上記の文章の言うとおりかもしれません。
しかし、そんな単純なものなのでしょうか。魂抜きがされている仏像に対面した時、ありがたいなと思い、手を合わせる。その行為は無駄なことなのでしょうか。私はその祈る気持ちは確実に仏様に届くと思います。
また、仏像に魂を入れる開眼供養をしても、誰もその仏像に手を合わせなければ、その仏像からは仏様はいなくなるのではないでしょうか。反対に開眼供養されていない仏像でも、多くの人か手を合わしているならば、そこに仏様は現れるのでないでしょうか。
どんな場所でも祈るところに現れ、我々を助け励まし、良い方向に導いてくれる。それが仏様です。博物館などで仏像に対面した時、手を合わせたくなったら、手を合わせればいいと思います。