月刊誌致知2010年1月号に山折哲雄さんと千玄室さんの対談が掲載されていました。

(千玄室さんは)禅の師匠から破草鞋(はそうあい)という公案をいただきました。
しかし、最初に老師から「はそうあい」と言われた時は何のことかさっぱり分からなかった。

ある時、托鉢用の編み笠と草鞋を見た時、「そうや、草鞋のことや」と思いました。しかしそれでも破れ草鞋がどういうことかまだ分からないのです。

最近ようやく答えが分かりました。破れ草履は何も役に立ちません。自分の草鞋が破れている。それすら忘れて、裸足になってひたすら前身を続けよと。いつまでもうつむいていないで前進を続けよと。

破れた草履が気になるようでは駄目だ。気がついた時には草履も何もなかった。すべてを失っても裸足で前向きに歩いていた。これからもそういう生き方を目指してまいりたいと念じております。

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良いことをするに理由や根拠は必要ありません。理由や根拠なしに行動を開始し、草履が破れるのを忘れる程、夢中にやる。そうありたいものです。
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