「諦める」ということは、じつは「明らかに究める」ということです。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、本当の「諦める」ということなのです。
たとえば、親鸞は中世で最も強く「諦める」ことに到達した人物なのです。彼は何を諦めたのか。それは、自分の欲望や煩悩から個人の自力ではとうてい解脱することはできない、ということです。
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インターネットで「諦める 明らかに究める」を検索すると、多くのサイトでそのことが好意的に紹介されています。
この言葉は老、死などの避けようとしても避けられないものに対する態度なら賛成ですが、人間の能力に対しては適切なのか疑問を持ちます。
我々一人ひとりは無限の可能性を持っています。人は自分の持っている能力を明らかに究めることなどできるのでしょうか。
自分は○○に関して明らかに究めた。そう思う心は驕りではないのでしょうか。