今年を振り返って

「霊場巡りの旅ブログ」を開始したのは、今年の1月4日です。無事、今年一年ブログを続けることができました。1月4日に書いた記事「一年の計」で、
(1) 三月までに西国三十三観音を結願する。
(2) 今年御開帳する観音霊場を訪れる。
(3) 九月から西国三十三観音の二巡目を発願する。
と書いています。
(1)は、無事結願することができました。(2)は、最上三十三観音をめぐるつもりでしたが、代わりに旧小机領三十三観音を結願することができました。(3)も、発願することができました。とりあえず、全て実現できています(実現できそうなことしか書いていないという話もありますが)。

今年はたくさんのお寺巡り仲間と知り合うことができました。一緒に行った寺社巡りの中で印象に残っているベスト5は、
・2月の鎌倉
・6月の湖北観音
・8月の観音の里たかつきふるさとまつり
・8月の熊野三山
・10月の山梨
です。

2月の鎌倉散策は初めてお会いする方ばかりでしたが、まるで昔からの知り合いのように楽しくお寺めぐりをすることができました。この散策に参加しなければ、今年のお寺めぐりは全然違ったものになっていたと思います。この時、ご一緒した方々には本当に感謝、感謝、感謝です。

6月の湖北観音散策は、吉田さらささんと初めてご一緒した寺旅です。去年の10月に高幡不動で吉田さんのトークショーを聞き、その時に来年は一緒に寺めぐりをする企画を考えていると話されていたので、ずっと楽しみにしていました。All aboutのメールで寺旅企画があるのを知り、場所が以前から訪れたいと思っていた湖北でしたので、迷わず参加しました。訪れたお寺に祀られている仏像はいずれも素晴らしく、湖北はすぐにお気に入りの場所になりました。

8月の観音の里たかつきふるさとまつりは、有名な向源寺の十一面観音像がある高月町で開催されたおまつりです。おまつりでは、地元の方に大切に守られている仏像が一斉に御開帳されます。仏像自体も素晴らしかったですが、地元の方がいかに自分たちの仏像を大切にしているかを知ることができ、とても有意義でした。来年も是非、参加したいです。

8月の熊野三山は、青岸渡寺の宿坊・尊勝院に泊まることができ、朝のお勤めにも参加しました。
また早朝の那智の滝も体験し、熊野本宮大社では、みそぎの雨も体験しました。補蛇洛山寺で特別に開帳してくれた千手観音像、霧に覆われ、幻想的な雰囲気であった阿弥陀寺も印象深いです。大雨で新幹線が止まり、戻れなかった時に泊めて頂き、仲間の大切さも知りました。熊野三山企画は本当に色々な意味で濃い企画でした。

10月の山梨散策は、私が幹事として企画しました。放光寺で精進料理を食べ、大善寺で5年毎に御開帳される薬師如来像などを拝観しました。今までお世話になった方々に少しはお礼ができたでしょうか。

また、致知出版との出会いも忘れてはいけません。このブログの主題は「寺社巡りを通して人間として成長することを目指す」ですが、具体的な指針はありませんでした。しかし致知出版と出会った後、どうすれば良いのかが分かってきました。

最後に、このブログを読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。来年もがんばってブログを更新していきますので、よろしくお願いします。

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野間大坊(続き)

昨日の野間大坊における絵解の続きです。絵解は本堂の右端で行われましたが、終了するとご本尊の前に移動しました。そしてご住職が般若心経を唱えながら、祈祷をして下さいました。その後、ご住職と話をすることができました。

本殿の御本尊は頼朝公の念持仏であった地蔵菩薩です。このお地蔵様は平清盛の母である池の禅尼が頼朝に渡したものです。池の禅尼は頼朝の助命を清盛に嘆願したことで知られています。地蔵菩薩像は秘仏であり、100年に1度の御開帳だそうです。前回は平成2年に御開帳したそうなので、拝観することは不可能でしょう。

地蔵菩薩が納められている厨子の扉には、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)が描かれているそうです。ご存じのように 矜羯羅童子、制多迦童子は不動明王の脇侍です。よってこの厨子には本来、不動明王が安置されていたと考えていたそうですが、信貴山に地蔵菩薩、矜羯羅童子、制多迦童子の三尊で祀られてたそうなので、地蔵菩薩と不動明王が一体となって信仰されていたのではないか考えられるそうです。

パンフレットに「尾張地方随一の祈祷寺」と書かれているように野間大坊は祈祷寺です。昔は世襲制ではないので、祈祷は本当に真剣勝負だったそうです。神通力がないと判断されると首を切られたそうです。徳川将軍には祈祷師がいましたが、将軍が亡くなると祈祷師は交代したそうです。その理由は、亡くなるのは祈祷師の延命の力がなくなったと判断されたからだそうです。
ご住職は祈祷寺は大変だけど、やりがいがあると言っていました。私はそれを聞いて、本当に神通力のあるご住職だからこそ言える言葉だと思いました。

来年にご住職が曼荼羅の本を出版するそうです。今までの曼荼羅の本は学者が書いた本がほとんどで、実際に祈祷している僧侶が書いたものは皆無に近いそうです。当日も曼荼羅に関して、色々教えて頂きました。本が出版されたら買おうと思いますし、ブログでも紹介するつもりです。

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野間大坊における絵解

知多四国八十八ヶ所の話を書くと言っておきながら書いていませんでしたので、書きたいと思います。
今回の知多四国八十八ヶ所めぐりは野間大坊からスタートしました。野間大坊は前回の知多四国めぐりで訪れていますが、
・印象が良かったのでもう一度訪れたい
・絵解(えとき)があるので聞いてみたい
などの理由により、再度訪れました。

野間大坊に着く直前に「はりつけの松」という案内板があり、絵解きの予約時間まで少し時間があったので、まずはそちらに立ち寄りました。源頼朝が建久元年上洛の途中に野間に立ち寄り、父・義朝を殺した長田忠致、景致父子を捕らえ、磔に処したと伝えられている松です。長田父子の辞世は「ながらえし命ばかりは壱岐守 美濃尾張をばいまぞたまわり」です。松のある場所は高台になっており、そこから野間大坊からはっきり見えます。

お寺に入ると本殿内に案内されました。2枚の絵が掲げられており、その前で座って待っているとご住職が現れ、絵解きが始まりました。最初は昔風の語りで説明されましたので、「この調子で最後まで話されるのかな」と思いましたが、すぐに現代の言葉での説明になりました。

平治の乱における源義朝と平清盛の対立から始まり、義朝より先に暗殺される家臣・鎌田政家の最後、入浴中に襲撃され、無念の最後を遂げた義朝、義朝が殺害されたことを知った家来・渋谷金王丸の行動、頼朝が平家を滅ぼした後、はりつけの松の前で処刑される長田親子、野間大坊での義朝の盛大な供養などをわかり易く説明してくれました。

長田親子の辞世の句にある「美濃尾張」は、長田親子が義朝の首を平家に持参した時に褒美として美濃国と尾張国を所望したが貰えず、処刑される今、「美濃尾張 →みのおわり→身の終わり」を貰ったという意味になっています。

義朝の墓の近くに織田信孝の墓もあります。信孝の辞世「むかしより主をうつみの野間なれば むくいを待てや羽柴筑前」も義朝を討った長田親子の件、豊臣家の滅亡を知っていると非常に考えさせられるものがあります。

絵解を体験したのは今回が初めてですが、昔の人が楽しんでいた絵解を体験できたのは非常に良い経験になりました。

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Author:ラーマ
神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。 Twitterもやっています。アカウントは@kannon33です。

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