2017/12/05

三つの叱るコツ

月刊致知1月号に掲載されている、井村雅代さんの「人を育てる」より。

叱る時はまず現行犯で叱ってください。いまのそれがダメなんだって言われたら、人間は反省します。
「君、この前も同じことを言ったよ」と古いことを持ち出してはいけません。これをやられると、いまやったことへの反省が薄れてしまうんです。
もう一つしてはいけないのは、しつこく叱ること。それは本人の自己満足で、聞いている人は「もう分かったよ」って嫌気が差してくるんです。
現行犯で叱ること、古いことを持ち出さないこと、しつこく叱らないこと。この三つの叱るコツをぜひ覚えてください。

叱るとは、いま自分の目の前にいる人は、絶対このままでは終わらないんだ。いまの状態よりも必ずよくなるんだと、その人の可能性を信じることなんです。だから本気でぶつかり、よくなるまで、あの手、この手で引き上げようとする。叱るとは、その子の可能性を信じるということなんです。
2017/11/09

月刊致知12号の特集は「遊」です。以下、総リードより。

遊は暇つぶしではない。また何かのためにするものでもない。子供の遊ぶ姿にそれは如実である。遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。夢中である。無心である。

「知る者は好んでやる者には及ばない。好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない」
古来、多くの人が愛誦した一節だが、伊与田覚氏はこの上にもう一つの境地があるという。それが「遊」である。知には無知、好きには嫌い、楽しみには苦しみというように、知好楽には相対する世界がある。しかし、遊には相対するものがない。絶対の境地である。ここに到ることが尊いというのである。

『礼記』の一篇「学記」では、学問には蔵学、修学、息学、遊学の四つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。修学である。
この段階を経ると、呼吸するのと同じように学問が自然になる。息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。遊学である。
2016/11/18

人を育てる

月刊致知12号の特集は「人を育てる」です。

人生には不変の原理が二つある、といつしか思うようになった。

一つは、人生には投じたものしか返ってこない、ということである。人生に何を投じたか、その質と量が人生を決定する。

もう一つは、人生は何をキャッチするか。同じ話を聞き、同じ体験をしても、そこからキャッチするものは人により千差万別である。キャッチするものの中身が人生を決める。

イギリスの十八世紀の歴史家ギボンの言葉がある。
「あらゆる人は二つの教育を持っている。その一つは他人から受ける教育であり、他の一つは、これよりももっと大切なもので、自らが自らに与える教育である」

自らが自らに教育を与える
一人の人間としてそういう意識にまで高めることこそ、人を育てる神髄ではないだろうか。

ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。