2011/10/17

滋賀仏教美術めぐりの旅 源昌寺

源昌寺を訪れようと思ったのは、雑誌「みーな」の110号に載っている記事を読んで、是非、訪れたいと思ったからです。源昌寺に事前に連絡を入れ、訪問予約をしました。

予約した時間に到着するとお寺の方が出迎えてくれました。そして、お堂に上がらせて頂き、仏像を拝観させてもらいました。

「みーな」に掲載されていた聖観音像、如意輪観音像がいらっしゃいました。聖観音像は雑誌を見てずっとお会いしたいと思っていたので、まるで憧れのアイドルに会ったような気持ちでした。





別の壇には、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三仏が祀られており、その前に見返り文殊菩薩像が安置されていました。文殊菩薩像は確かに見返っています。阿弥陀如来像が見返っているのは京都の永観堂などに祀られていますが、見返り文殊菩薩像は他に例がないのではと思います。

上記以外にもたくさんの仏像が祀られており、「みーな」に書かれていた「仏さんがようけやから寂しいない」は確かにそのとおりだと思いました。

楽しみにしていた「るり池」の水も頂きました。頂いた案内によると、観音様に関連する逸話があり、るり池の水を汲んで持ち帰り、肌の薬にしているそうです。



源昌寺では、憧れの観音様と出会え、観音像を守り続けている方ともお会いして、色々話が出来ましたので、こちらも気持ちの良いお参りができました。

訪問日:平成23年10月8日
2011/10/17

滋賀仏教美術めぐりの旅 松尾寺 醒井楼

醒井楼は松尾寺が直営する鱒料理のお店で、到着すると、お座敷に案内されました。そして、木・金曜日と仏女ブロガーとして滋賀県のお寺を巡っていたことを伝えると、お店の方が色々と話をしてくれました。お話を聞きながら、お店の方の

・松尾寺のご本尊である飛行観音への思い
・鱒料理を通して、生命の大切さ、水の大切さ、自然の大切さを伝えようとする思い

を深く感じました。

食事は江の椀を頂き、とても美味しかったです。


我々が食事をした隣の部屋です


役行者の斧割りの水がこちらまで流れています







食事が終わった後は御住職の案内のもと、松尾寺を拝観しました。まずは霊仙三蔵記念堂です。皆さんは霊仙三蔵についてご存知でしたか。私は松尾寺のページを読むまで知りませんでしたが、日本人で唯一「三蔵」の称号を賜った高僧です。三蔵の称号を賜った高僧は、インドで般若他4名、中国で玄奘他1名、西域で1名、日本で1名と、世界でわずか8名しかいません。ちなみに三蔵とは、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことです。

三蔵法師というと西遊記に出てくる玄奘三蔵を思い出しますが、日本人として、自国の三蔵法師を知らないのは恥ずかしいですね。私は今回の松尾寺訪問でしっかりと胸に刻みました。

霊仙は最澄、空海らと共に唐に渡りました。薬学の知識があり、語学の天才だったそうです。インドから来ていた般若三蔵と共にお経をパーリ語から中国語へ翻訳し、更に中国語をお経らしい言葉に直したそうです。また、大元帥明王法をマスターしていたため、唐から日本への帰国が許されなかったそうです。これは大元帥明王法は敵国降伏に使われるので、唐国と日本が戦争をした時に使用されると困るからです。結局、霊仙は日本に帰国できないまま、亡くなりました。

もし霊仙が日本に帰国していたならば、日本の仏教はどうなっていたでしょうか。今とは違ったものになっていたかも知れません。ちなみに三蔵のほうが大師より上の称号で、中国の皇帝のみが与えることができ、日本の天皇は与えることができなかったそうです。

霊仙三蔵記念堂は2004年に建立されました。堂内には、霊仙三蔵坐像、その前に飛行観音のお前立ち(聖観音、十一面観音)が安置され、脇侍にような形で、三修沙門、役行者像が祀られていました。そして、お堂の壁に沿って、五百羅漢像が安置されていました。

霊仙三蔵記念堂は八角堂で、八角堂や六角堂はお堂の中心に仏様が祀られるのだそうです。それを聞いた時、確かに興福寺の六角堂は不空羂索観音像がお堂の中心に祀られているなと思いました。

霊仙三蔵坐像は右手に巻物を持っています。これは上述したようにパーリ語から中国語に翻訳をしたので、それに由来しているそうです。また本来は左手には独鈷杵を持つべきなのだそうですが、数珠を持つようにしたとのことです。

次は松尾寺資料館を訪れました。その隣に建立中の本堂がありました。以前の本堂は昭和56年の大雪で倒壊したのだそうです。

資料館には、阿弥陀像、子安地蔵、雨宝童子、不動明王、後鬼などたくさんの仏像が安置されていました。個人的には、雨宝童子像が良かったです。台座を四天王が支えており、開帳を知らせる過去の立て札には運慶作と書かれていました。

また箱にしまわれた当麻曼陀羅があり、畳六畳半ほど大きさで、滋賀県で一番大きな当麻曼荼羅だそうです。

松尾寺では来年にご本尊の飛行観音が御開帳されるそうです。その時は必ず訪れようと思います。今回の訪問では、料理の時に熱心に話をして下さり、またお寺の説明も丁寧にして頂き、本当に感謝しています。

しかし、私のブログだけでは松尾寺の素晴らしさが十分に伝わらないと思います。そこで、仏女の大御所である吉田さらささんが来春に「近江と若狭の仏像めぐり」という本を出すので、そこに松尾寺のことを書いて欲しいと頼みました。ですので、来年の御開帳の時は吉田さんの本を片手に松尾寺に出かけましょう。

訪問日:平成23年10月8日
2011/10/17

滋賀仏教美術めぐりの旅 丁野観音堂

渡岸寺観音堂の記事で、

湖北魅力は、観音様との出会い、そして、そのお像を大切に守ってきた人との出会い。

と書きましたが、それがより実感できるのが、地域の方々で守られている小さなお堂を訪れた時です。今回訪れた丁野(ようの)観音堂はそのようなお寺です。

河毛駅コミュニティハウスに電話して丁野観音堂の拝観予約をお願いし、希望時間に拝観できることになりました。

当日、予約時間に到着すると、既に世話人の方がおられました。観音堂は予想よりも立派な建物で、拝観料200円を払い、早速、観音様を拝観させてもらいました。





丁野観音堂の十一面観音像は坐像で、しかも六臂であるという非常に珍しいものです。







こちらは浅井亮政出生の地なので、「浅井は地元で英雄なのですか」と尋ねると、やはり、「はい」との答えが。また話していると長政の娘三人(茶々、初、江)、特に将軍秀忠に嫁ぎ、その子・和子が天皇家に嫁いだ江が浅井を有名にしたのではという話になりました。

それを聞いた時、以前ブログで紹介したことがある「考経」における以下の一文を思い出しました。

父母から恵まれた身体を傷つけないことが孝行の第一歩である。一身の独立を保持し、人としての道を行い、名を後の世まで残し、父母の名を世に顕(あらわ)す。これが親孝行の究極の姿である。

丁野観音堂は今回初めて訪れましたが、湖北で新たに素晴らしい観音様に出会え、とても嬉しかったです。そして、観音像を守り続けている方とも色々と話が出来ましたので、気持ちの良いお参りができました。

訪問日:平成23年10月8日

ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。