寺社一般のカテゴリ記事一覧

霊場巡り旅ブログの旧ブログです。2018年5月上旬までの記事があります。

カテゴリ:寺社一般

  • 2018/05/08寺社一般

    浅草寺誌5月号に掲載されている「百歳いけらんは、うらむへき日月なり」より。「浜までは 海女も簑着る 時雨かな」この句は江戸中期の俳人、滝瓢水という方の句です。この方は千石船5艘もあった財産を、京や大坂で豪遊の限りをつくし、風流でなくしてしまうんですね。それで「蔵売って 日当たりのよき 牡丹かな」などという句を残している。お母さんが亡くなった時も放蕩三昧を尽くしていて間に合わなかった。母親の墓にお参...

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  • 2018/03/21寺社一般

    3月20日の読売新聞のニュース「出羽百観音、巡礼ガイド…3年連続開帳で県作製」によると、庄内、置賜、最上の3地域にある「三十三観音」札所が今年から3年連続で開帳されるのに合わせ、県は「やまがた出羽百観音巡礼・観光ガイド」を作った。今年は庄内三十三観音が8年ぶり、2019年には置賜三十三観音が7年ぶり、20年には最上三十三観音が12年ぶりにそれぞれ開帳を迎える。期間はいずれも5月1日から10月末まで。「...

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  • 2018/03/14寺社一般

    浅草寺誌3月号の「小噺にみる浅草寺と雷」より。七月十日は、参拝すると四万六千日参拝したのと同じ利益(功徳)が得られるとされ、境内には多くの人々が集います。「浅草寺史談抄」でこの縁起について「室町末期からと一応想像している。それも西国の観音霊場から起こって、遂次東海道を経て、関東におよんだものと思われる」とされています。「年中行事大辞典」には、浅草寺では古くからこの日を「千日参り」と呼んだが、享保年...

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「浜までは 海女も簑着る 時雨かな」の真意

浅草寺誌5月号に掲載されている「百歳いけらんは、うらむへき日月なり」より。

「浜までは 海女も簑着る 時雨かな」
この句は江戸中期の俳人、滝瓢水という方の句です。この方は千石船5艘もあった財産を、京や大坂で豪遊の限りをつくし、風流でなくしてしまうんですね。それで「蔵売って 日当たりのよき 牡丹かな」などという句を残している。

お母さんが亡くなった時も放蕩三昧を尽くしていて間に合わなかった。母親の墓にお参りして「さればとて 石に布団は 着せられず」などと平気でつくってしまう位の、執着を去った俳句を作ったといわれている。味わい深い人生を感じさせる秀句が多いのです。

やがて仏門に入ります。ある日、その透徹した生涯を慕って、一人の雲水が訪ねてまいります。たまたま瓢水は風邪をひいて、薬を買いに出ていて留守だった。噂を訪ねてきたけれども、「何だよ、瓢水は偉そうなことをいっても命に執着があるじゃないか。風邪位で薬を買いにいって留守にしているのか」とその雲水さんは怒って帰ってしまったんだそうです。

そして瓢水が帰ってきた。いきさつを聞いた瓢水は短冊に「浜までは…」の句を書いて、「その雲水はそこらへんにいるだろうから、急いでこれを雲水に渡してくれ」と言ったんだそうです。

海女さんですから、どっちみち海に入ればずぶ濡れになる。だから少しばかり時雨に濡れたってどうということはなかろうと思います。しかしながら、そうではないでしょう。濡れなければならない時は潔く濡れよう。しかし意味もなく濡れて体を冷やすことは、命を粗末にすることになる。一瞬であろうと体を大事にする。それで初めて海に入って仕事も完璧になすことができる。

捨てるばかりが能ではない。捨てることに執着してもならない。これが「浜までは 海女も簑着る 時雨かな」の真意ではないかと思います。
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庄内、置賜、最上の三十三観音札所が三年連続で御開帳

3月20日の読売新聞のニュース「出羽百観音、巡礼ガイド…3年連続開帳で県作製」によると、

庄内、置賜、最上の3地域にある「三十三観音」札所が今年から3年連続で開帳されるのに合わせ、県は「やまがた出羽百観音巡礼・観光ガイド」を作った。
今年は庄内三十三観音が8年ぶり、2019年には置賜三十三観音が7年ぶり、20年には最上三十三観音が12年ぶりにそれぞれ開帳を迎える。期間はいずれも5月1日から10月末まで。
「庄内」は山岳信仰の聖地とされる出羽三山の羽黒山・荒沢こうたく寺をスタートし、庄内平野全域を巡るコース。「置賜」は上杉家家老・直江兼続の妻・お船の方が領地内で三十三の霊場を定めたことが起源とされる。「最上」は約580年の歴史を誇り、松尾芭蕉が句を詠んだことで知られる山寺などを回るコースだ。


とのことです。今年からの庄内、置賜、最上の御開帳、とても楽しみですね。
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浅草寺四万六千日の天気

浅草寺誌3月号の「小噺にみる浅草寺と雷」より。

七月十日は、参拝すると四万六千日参拝したのと同じ利益(功徳)が得られるとされ、境内には多くの人々が集います。「浅草寺史談抄」でこの縁起について
「室町末期からと一応想像している。それも西国の観音霊場から起こって、遂次東海道を経て、関東におよんだものと思われる」
とされています。

「年中行事大辞典」には、浅草寺では古くからこの日を「千日参り」と呼んだが、享保年間頃から「四万六千日」と呼ぶようになったと書かれています。この四万六千日法要の日は江戸時代を通じて晴天が多かったようです。「浅草寺日記」の中に出て来る四万六千日の日に雨天だったのは、天気が確認できる記事の中では、文政四年七月九日の夜以外はないようです。

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「四万六千日法要の日は江戸時代を通じて晴天が多かったようです」は面白いですね。私は都合がつけば毎年四万六千日は浅草寺を訪れていますが、四万六千日は晴天が似合います。晴天の下、ほおずき市を見ると「夏が来たな」と感じます。今年の四万六千日も晴れて欲しいですね。
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