2017/11/22

「運慶」展に行ってきました

東京国立博物館で9月26日から開催されている「運慶」展も今週の26日までの開催となりました。
「東博だから都合の良い時に行こう」と思いながら、未だに訪れておらず、明日から京都に行くので、本日(11月22日)訪れることにしました。

東博に着くと、「切符購入まで15分、入場まで50分待ち」とのこと。「平日だから待つことなく入場できる」と思っていましたが、甘かったです。

やっと平成館に入場しても、すごい人です。じっくり文章まで読んでいるとものすごく時間がかかりそうだったので、今回は仏像のみを鑑賞することにしました。運慶展ですので素晴らしい仏像ばかりですが、私は特に願成就院の毘沙門天像と浄楽寺の阿弥陀三尊像に惹かれました。

願成就院の毘沙門天像は360度から鑑賞できるようになっており、どの角度から見ても素晴らしいかったですが、特に向かって左側から見る姿は格好良かったです。毘沙門天像の力強く一点を見つめる姿は、何か迷いがあった時のこの像を見れば、迷いなく決断ができるように感じました。

浄楽寺の阿弥陀三尊像は、平安時代における貴族風の様式とは違い、力強さを感じました。この仏像を見た鎌倉武士は新しい時代の到来を実感しただろうと思い、だから運慶の仏像が鎌倉武士に受けたのだと感じました。また不動明王像も良かったです。不動明王像は左目に比べて、右目を大きく開けているのですが、その右目と目が合う場所があり、そこから見る不動明王は格好良かったです。

運慶展はやはりお薦めの展示です。非常に混雑していますが、今日から最終日までは21時まで開催しているので、遅い時間に行けば、もしかしたら空いているかもしれません。



2017/11/09

月刊致知12号の特集は「遊」です。以下、総リードより。

遊は暇つぶしではない。また何かのためにするものでもない。子供の遊ぶ姿にそれは如実である。遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。夢中である。無心である。

「知る者は好んでやる者には及ばない。好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない」
古来、多くの人が愛誦した一節だが、伊与田覚氏はこの上にもう一つの境地があるという。それが「遊」である。知には無知、好きには嫌い、楽しみには苦しみというように、知好楽には相対する世界がある。しかし、遊には相対するものがない。絶対の境地である。ここに到ることが尊いというのである。

『礼記』の一篇「学記」では、学問には蔵学、修学、息学、遊学の四つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。修学である。
この段階を経ると、呼吸するのと同じように学問が自然になる。息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。遊学である。
2017/11/06

鎌倉国宝館「鎌倉公方 足利基氏」展に行きました

11月4日、鎌倉国宝館で開催されている「鎌倉公方 足利基氏」展を見に行ってきました。鎌倉国宝館では土曜日の14時から学芸員による展示説明があるので、それに合わせて、見に行くのがお薦めです。

学芸員が「足利基氏といってもほとんどの人が知らない」と言っていましたが、私も知りませんでした。そんな私が何故この展示を見に行こうと思ったかというと、室町時代の関東に興味が出てきたからです。

下の画像に中央にある足利基氏像は江戸時代に造られたものであり、江戸時代以降、お寺を援助した人物の像を造るようになったそうです。今回の展示も没後650年にあたることを記念したものであり、歴史は過去からの流れであり、歴史は積み重ねであると感じました。

仏像では、浄光明寺の矢拾地蔵像が展示されていました。浄光明寺では近くで拝観することが出来ませんが、展示では間近で拝観することができ、素晴らしい像でした。また、等身大の夢窓疎石像も展示されており、椅子に座った夢窓疎石像は本当にそこに疎石が座っているように感じるものでした。

基氏だけでなく、尊氏、直義の書状も展示されており、ますます南北朝時代の鎌倉に興味が出てきました。

今回の展示は基氏メインでしたが、鎌倉公方に焦点を当てた展示を見てみたいです。


ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。 Twitterもやっています。アカウントは@kannon33です。